introduction of 'Apprenticed to a Himalayan Master' for Japanese

「ヒマラヤの師と共に〜現代を生きるヨギの自叙伝〜』出版へ向けて!内容のご紹介をしていきます。https://greenfunding.jp/lab/projects/3065

ヒマラヤの師と共にーその④ 修行と結婚 2019,7-3

 

''Babaji, I have a serious problem. My parents might find a girl and try to get me married. What shall I do?'' 

''Don't worry, nothing will work out, but I was just going to tell you, that it is Sri Guru's wish that you eventually marry, have children and live like a householder. Set an example. There are people who think that to reach the highest level of conscioussness, one has to become a monk.

 Disprove it.

 Shyama Chran Lahiri did it many years ago. Now you have to do it. Moreover the person who you will marry has a role in maturing your mind, and she will come into your life after your association with J.Krishnamurti.(Apprenticed to a Himarayan Master p210)

  

「ババジ、困ったことが起きました。 私の両親が私を結婚させるために女の子を探してくると思います。私は、一体どうしたらいいのでしょう?」  

「心配ない。何も起きないだろう。だが、一つだけ言っておく。シュリー・グル・ババジはお前に結婚し、子どもをもうけ、家長として暮らすことを望んでおいでだ。意識の一番高みに到達するためには出家しなければいけない、などと考えている人たちがいるが、それは誤りだ。

 かのシャーマ・チャラン・ラヒリは何年も前に家庭生活を送っただろう?今はお前がそれをしなくてはいけないんだよ。いやそれ以上に、お前が結婚する相手は、お前の心を成熟させてくれるだろう。そして、その相手はお前がJ.クリシュナムールティに出会った後に、お前の人生にやってくるだろう。」(ヒマラヤの師と共に)

 ※訳は本書の訳文とは異なります。

 

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この予言通り、シュリーエムはJ.クリシュナムールティに出会ったのち出会った一人の素敵な女性と結婚をし、家庭生活を送ることになります。

ババジは、シュリーエムに「家庭生活を送ったことがなければ、どうやって家庭の相談に来た人の相談に乗ることが出来るだろう?」とも言います

 

こうして、シュリーエム氏は、とんでもないヒマラヤでの経験を胸に仕舞い、普通に結婚をし、普通に子どもを持ち、静かに一般人としての生活を送ります。

 しかし、ババジはまた、それがのちに一変することもちゃんとわかっていたのです。

本書には、どのような縁に導かれ、どのようにシュリーエムが教えを説くようになったか、そのようなストーリーも克明に細部まで描かれています。

 

シュリーエム氏と妻スナンダ(インドの大統領と)

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ヒマラヤの師と共にーその③ シルディのサイババ 2019,7-2

He lived in Shirdi for many years, working innumerable miracles and wiping out the sorrows of all who came to him.....He died on October 15, 1918.

Before He died, he said that he would be in Shirdi even after the body dies, and will speak to those who come with sincerity and devotion.

 

My acutely skeptical mind would never have accepted that statement, if he hadn't played that little drama at the Chavadi that night.

I am eternally thankful to him for having so kind, even to a skeptic like me with very little faith and bow down to him...(Apprenticet to a Himarayan Master p 257)

 

彼(=シルディのサイババ)は、何年もシルディ村に暮らし、彼を訪れる多くの人の悲しみを取り除き、たくさんの奇跡的な仕事を成し遂げました。そして、1918年10月15日に亡くなりました。

 

彼が死ぬ前に、彼は深い愛情を持って彼を訪れる人びとに向けて、こう言いました。自分は肉体が朽ち果ててもここにいる、と。

 

私(=シュリーエム)の疑い深い心は、もし、彼がこの晩に見せてくれたちょっとしたドラマを経験していなければ、決してこの言葉を受け入れてはいなかっただろうと思います。ですから、こんなに疑い深い心で、誠実さなんてほんのちょっとしかなかった私に対してババのしてくれた深い思いやりに、私は、永遠に感謝し、頭を垂れるのです。

 (ヒマラヤの師と共により)

 ※訳は本書の訳文とは異なります。

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シュリー・エム氏は1948年に生まれました。

かの、シルディのサイババは、1918年に亡くなっています。 

ということは、二人が物理的に肉体を持って会うことはない、

というのが世の常識です。

 

しかし、本文の記述はそうでなかったことを物語っています。

二人の邂逅にはどんな「ちょっとしたドラマ」があったのでしょうか?

ババの示した思いやりとは、どんなものだったのでしょうか。

そのドラマは、シルディのサイババがどのような人物であったのかを

私たちに知らせるには、十分なものです。どうぞ、ご期待ください。

 

 これまでたくさんの「不思議」に出会ってきたシュリーエムですら、そんな経験がなければ「自分の疑い深い心では、死んだ人間が肉体が亡くなった後も留まっていることなど信じなかっただろう」と言っているのです。

私たちがにわかに信じられなくても当然のことです。でも、もしそんなことが起きるのであれば?

私たちの生きる世界の見え方もまた、変わっていくように思います。

 

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ヒマラヤの師と共にーその② ババジの子供だな!ニーム・カローリ・ババ 2019,07

Watching the scene from a distance, I wondered if he would even notice an insignificant new arrival like me. I was wrong. Suddenly, he craned his neck and looked at me.

His eyes widend. I helt something like an electric shock going up my neck and towards my head. 'Babaji ka baccha (babaji's child)' he shouted. 'come here, you, you.' Now he was pointing at me. Someone wispered to me,'Go , go, he is calling you'.(Apprenticed to a Himarayan Master p 240)

  

そんな光景を遠くから見て、私は私のようなニューカマーには彼(=ニーム・カローリ・ババ)は気づかないだろうと思っていました。しかし、それは間違いでした。彼は首を持ち上げると私の方をみました。彼の目が大きく見開かれました。

  

私は電気ショックのようなものが私の首から頭に向けて駆け上がるのを感じました。'ババジ、カ、バッチャ!(ババジの子どもだな!)'と彼は叫びました。'こっちへ来なさい。お前さんだよ。'そうして、彼は私を指さしたのです。誰かが私にこう囁きました。'行きなさい、ババが君を呼んでいるよ'(ヒマラヤの師と共により)

 ※訳は本書の訳文とは異なります。

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Sri M 氏の自叙伝には、ババジだけでなく、重要な聖者との邂逅の場面がいくつも出てきます。これは、ニーム・カロリ・ババという聖者との出会いの場面です。

ニーム・カローリ・ババは夏でも冬でも赤と黒と白のチェックの毛布を体に巻きつけ、大声で笑い、「気狂いの聖者」という異名を持つほど、見た目も行動も大胆な聖者でした。彼が何に狂っていたかというと、愛です。

 

ラーマ神の忠実な家臣であったハヌマーンを敬愛し、いつも「ラームラーム」とラーマ神の聖名を唱えて、唱えることを皆に勧めました。多くの西洋人が彼の元を訪れます。

そして、Sri M が一目彼に会うやいなや、彼はSri Mがババジとつながりがあることを見抜きます。

 

インドからは、このような、普通では想像も及ばない、卓越した知見をもつ聖者がたくさん輩出されています。

 

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ヒマラヤの師と共にーその① シュリー・グル・ババジ 2019,06

Trekking through Pandukhali, where the locals believe the Pandavas lived a while in exile, I scrambled down a rocky hill and reached the cave.

There was no one threre. I was absolutely still and serene inside the cave. Sitting in the cave and doin my kriya, I effortlessly passed into a deep state of altered consciousness.

I could feel Sri Guru's presence tangibly in my heart center.(Apprenticed to a Himarayan Master p 234)

 

地元の人々がパーンドゥ族が追放された際に住んでいたと信るパンドゥカリを歩き、ごつごつした岩山をよじのぼり、私は洞窟に到着しました。

そこには、誰も居ませんでした。私は洞窟の中で、完全な静寂とともにありました。

腰を降ろし、そこでクリヤヨーガを行うと、自然に変性意識状態へと入っていきました。そして、私は、自分の胸の中央に、シュリーグルババジの存在を、ありありと感じたのです。(ヒマラヤの師と共により)

※訳は本書の訳文とは異なります。

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著名なパラマハンサ・ヨガーナンダの著書、『あるヨギの自叙伝』によって世に知られるようになった「マハーアバター・ババジ」。現代に「クリヤ・ヨーガ」という秘伝を復活させるために、ヨガナンダの師の師である、ラヒリ・マハーサヤに教えを授けたとされる不老不死の聖者は、本書と著者の系譜では「シュリー・グル・ババジ」と呼ばれています。

 

シュリー・エム氏の自伝の中で、直接このシュリー・グル・ババジとの

邂逅の記述が出てきます。

シリーエム氏、そして、エム氏の師匠であるマヘーシュワルナート・ババジは、このシュリー・グル・ババジの命によってさまざまな仕事をしていきます。

 エム氏がS・G・ババジとついに邂逅した際の記述は、まるで光と香りが漂ってくるかのような幻想的かつ感動的な記述となっています。

どうぞ、邦訳された本書にて触れて頂けたらと思います。

 

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