introduction of 'Apprenticed to a Himalayan Master' for Japanese

「ヒマラヤの師と共に〜現代を生きるヨギの自叙伝〜』出版へ向けて!内容のご紹介をしていきます。https://greenfunding.jp/lab/projects/3065

ヒマラヤの師と共にーその③ シルディのサイババ 2019,7-2

He lived in Shirdi for many years, working innumerable miracles and wiping out the sorrows of all who came to him.....He died on October 15, 1918.

Before He died, he said that he would be in Shirdi even after the body dies, and will speak to those who come with sincerity and devotion.

 

My acutely skeptical mind would never have accepted that statement, if he hadn't played that little drama at the Chavadi that night.

I am eternally thankful to him for having so kind, even to a skeptic like me with very little faith and bow down to him...(Apprenticet to a Himarayan Master p 257)

 

彼(=シルディのサイババ)は、何年もシルディ村に暮らし、彼を訪れる多くの人の悲しみを取り除き、たくさんの奇跡的な仕事を成し遂げました。そして、1918年10月15日に亡くなりました。

 

彼が死ぬ前に、彼は深い愛情を持って彼を訪れる人びとに向けて、こう言いました。自分は肉体が朽ち果ててもここにいる、と。

 

私(=シュリーエム)の疑い深い心は、もし、彼がこの晩に見せてくれたちょっとしたドラマを経験していなければ、決してこの言葉を受け入れてはいなかっただろうと思います。ですから、こんなに疑い深い心で、誠実さなんてほんのちょっとしかなかった私に対してババのしてくれた深い思いやりに、私は、永遠に感謝し、頭を垂れるのです。

 (ヒマラヤの師と共により)

 ※訳は本書の訳文とは異なります。

GREEN FUNDINGサイトはこちらです。https://greenfunding.jp/lab/projects/3065

         ⭐︎  ⭐︎  ⭐︎

 

シュリー・エム氏は1948年に生まれました。

かの、シルディのサイババは、1918年に亡くなっています。 

ということは、二人が物理的に肉体を持って会うことはない、

というのが世の常識です。

 

しかし、本文の記述はそうでなかったことを物語っています。

二人の邂逅にはどんな「ちょっとしたドラマ」があったのでしょうか?

ババの示した思いやりとは、どんなものだったのでしょうか。

そのドラマは、シルディのサイババがどのような人物であったのかを

私たちに知らせるには、十分なものです。どうぞ、ご期待ください。

 

 これまでたくさんの「不思議」に出会ってきたシュリーエムですら、そんな経験がなければ「自分の疑い深い心では、死んだ人間が肉体が亡くなった後も留まっていることなど信じなかっただろう」と言っているのです。

私たちがにわかに信じられなくても当然のことです。でも、もしそんなことが起きるのであれば?

私たちの生きる世界の見え方もまた、変わっていくように思います。

 

f:id:purnamidam:20190822042457j:plain