introduction of 'Apprenticed to a Himalayan Master' for Japanese

「ヒマラヤの師と共に〜現代を生きるヨギの自叙伝〜』出版へ向けて!内容のご紹介をしていきます。https://greenfunding.jp/lab/projects/3065

ラスト一週間!ストレッチゴール設定とシュリー・エム氏のサットサンガ(ダイジェスト)ーーヒマラヤの師と共にーその12 2019,10,24

ストレッチゴールの設定につきまして

早くもプロジェクトも残すところ1週間となりました!

残すところ1週間ではありますが、ストレッチゴールを設定することにいたしました。

新たな目標は240万円です。これにより、厚い本の保護材の機能を果たす箱の作成、今後の本書に関連する展開をつくるための費用に充てることができます。

本の制作もデザイナーによる装丁や組版、印刷業者とのやり取り等、佳境に入って参りました。

より充実した本の制作、及び今後の活動の土台へのご協力を、皆様どうかよろしくお願い致します。

publighing Himalayan Master

プロジェクトチーム一同

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シュリー・エム氏は、現在 国内外において、様々な活動を展開しています。ご自身の活動基盤となるサットサンガ・ファンデーションや、アメリカのブロッサム・ファンデーションでの講演や講義に加え、個人やグループに対しても時間を作り、ヨーガや瞑想、生き方に関わる様々な教えを伝えています。

今回は、その活動の一端の動画を、ダイジェストでお届けします。

 

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<14:00~>

 魂の成長のためには仕事をやめなくてはいけませんか?

 

あなたが魂の成長を目指しているとしても、全ての仕事を辞める必要はありません。仕事をすべてやめれば、単に怠惰になるだけです。それは魂の成長をもたらしません。ある人が私を訪れました。「あなたは何歳ですか?」と聞くと、「40歳です」と答え、「全ての仕事をやめて、あなたのいるマダナパリに来て修行をしたいのです」などと言いました。彼はそれで何をするつもりなのでしょう? 大きな間違いです。

働くことが動的で、瞑想が静的だという二項対立は正しいものではありません。瞑想もまた、仕事とはまた別の、より良い形で動的なものです。そして世間で生きることも動的である。ただ、異なる形だというだけです。

二つの異なった形の動きがあり、あなたはその二つの橋渡しをどのようにするかを見つけ出さなければなりません。仕事をやめてインドのアシュラムに来て、平和に暮らそうというのは間違った考えです。アシュラムは小さな社会です。政治もあります。外の世界で目につかない問題も目につくようになります。ある意味で、それもまた非常によい魂のトレーニングにはなります。しかし、ほとんどの場合は小さな世界での大きな問題で頭がいっぱいになり、魂の成長のことを忘れてしまうのです。これが問題なのです。

ですので、仕事を放棄してはいけません。「何かをする」のです。あなたは働く必要があります。そして、仕事とは、自分のためにするのではなく、他の誰かのためにするものなのです。そして究極的には、仕事は自己の救済のために行われるものなのです。

これらのことを理解していただければ、このふたつを同時に行うことができるでしょう。

 

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<04:05~>

 

求道者のための組織や団体の内部にも、外の世界と同じように、人々のエゴの衝突や権力争いがあります。組織や団体に所属して真剣に真理を探求する人々にアドバイスはありますか?

 

何人かの人間が集まれば必ず意見の違いが生まれます。団体や組織となれば、個人間の違いは積み重なり、ときには膨れ上がって内部で爆発したりもします。

 

ラーマクリシュナ・ミッションという組織に私がブラフマチャーリー(若い修行僧)として滞在していたとき、ミッションの高僧がムンバイ支部を訪れました。彼は私に言いました。「この場所といえども天国ではありません。ここも小さな『世界』なのです。そして、外ではあまり目立たないようなことも、この小さな世界では、大きな違いとなって見えるものです。例え人々が着るものを僧の衣に変えたとしても、それだけで人が完全に変わるわけではないのです。」

 

他の人々に何かを伝えたい、シェアしたいとなったとき、一人ではできないことがあります。団体はこのような活動には必要なものです。しかし、当然ながら、団体には多種多様な人々が集まります。何も問題がないユートピアは地上には存在しません。問題をどのように対処できるかは、あなたの魂の次元における学びがどれだけ実践においても活かされているかに依ります。そういった学びと実践によって磨かれた、落ち着いた明瞭な心を常に保てれば、団体や組織の内部で問題が生じたときでも、人々が安心して互いに向き合える空間を与えることができるでしょう。

 

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<0:28〜>

自然との付き合い方についてマヘーシュワルナート・ババジは何か教えてくれましたか?

 

ババジは非常にはっきりと言っていました。自然を敬いなさい、それも最大限の敬意を以って、と。水も、川も、山も、樹も全てが最初の「神」であると。それ以外の神はナンセンスだと。何度もそう言っていました。

例えば「水を無駄にしてはいけない」と。歯を磨いた残りの水ですら何かにあげなさい、と言いました。食べ物においても同様です。食べられるだけにしなさいと。ババジはいつも少ししか食べようとせず、さらに先に少しの食べ物を取り分けておき、動物にあげるなどしていました。菜食についても「リンゴを一つもいで食べたとしても、たくさんのリンゴがまた生るだろう。だが、動物を食べたら、一つの個体、命がなくなる」と言いました。保護する、大切にする、という言葉はマヘーシュワルナート・ババジが最初からとても大事に伝えていたことです。これは、自分の体の中のエネルギーを保全することにもつながります。心と体のバランスをとり、エネルギーの無駄遣いをしないことは大事なことです。

 

<6:35~>

修行の実践と正しい修行法の重要さについて教えてください。

 

必要なものは、正しい修行法、そして毎日の継続です。

修行に関してありがちなのは次のようなことです。素晴らしい修行法を師から与えられたとする。あなたは修行をしばらく継続する。しばらくすると、心が落ち着き、意識が透き通るような状態が経験されるようになる。あなたは自分が最も高い境地に至ったと勘違いしてしまう。それで日々の修行はもういいや、ということになってやめてしまう。

 

このことは常に覚えておいてください。継続こそが修行において最も大事なことだとパタンジャリは言いました。はじめのうちには修行法も正しくできないかもしれません。それでもいいのでたゆまずに続けてください。6ヶ月の修行の後に、自分が最も高い境地、悟りに達したなどという幻想に陥らないように気をつけてください。とにかく日々の継続が大事です。もし本当に悟りが得られたときは、もはや修行をする必要はないでしょう。しかし、修行をすることなしに変化を期待してはいけません。

 

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